やってみるとわかる和太鼓の魅力
誰が打っても“ドン”という音が出る和太鼓。強い音、弱い音、やさしい音、激しい音・・・このように1つの“ドン”という音をとってみても色々な音があるように、1人1人の音色もまた違います。初めのうちは、その違いに気付かないかもしれませんが、太鼓の音はその人の心の在り方とともに変化します。和太鼓を始めた頃、とにかく夢中になって音を出すこと、打つことをしていたなぁと振り返り思い出します。きっと、習い事として通われている生徒の皆さんにもそういった時期があると思います。
どうやったらもっといい音が出ますか?
よく質問されますね!音に正解はありません。そう私は思います。
他でも伝えたように、太鼓の音はその人の心の在り方と共に変化すると実感しています。それは自分の経験をはじめ多くの方を見てきて思うことです。身近な例をあげると、趣味・習い事としてされている方でも「あっ、今日なんか良いことあったんだな」という時の音と、「今日は何かあったのかな?心配事でもあるのかな」と悩んでいる時の音では、同じ人なのに聴こえてくる音が違います。「ゆとりの中で出来た日」と「時間に追われた日」これにも違いがあります。
大人でも子供でもその日その日で音って違うものです。嬉しい時、悲しい時、好きな人が出来た時・・・日常には色々ありますね。
また、自分の例をあげると・・・明らかに若い時の自分と今とでは年齢も重ね、パワーでいえば絶対的に当時の方が、よりあったはずなのに、今の方が圧倒的に音も大きく変化しています。「力もいるけど力じゃない、力じゃないけど力」・・・経験を重ねるごとに得る感覚です。
今までの例はほんの一部にしか過ぎませんが、これが【内面的な音の魅力】だと思います。
〜美術品としての魅力〜
和太鼓という楽器そのものが、私には魅力の一つです。和太鼓を打つなら和太鼓のことを知りたい。そう思い続けて、その思いは現在進行形です。どんどん追求するにつれ、皮を張ること、胴を作ること、その皮はどうなっているのか、その樹はどんな樹なのか、知っていることより知らないことの方がほとんどでした。
他にはない「ホンモノの太鼓打ちになりたい!」その思いからすべては始まりました。しかし、、どこもそんな簡単に伝統技術を教える訳もなく、太鼓に対する熱い思いを訴え続け、とにかく人との繋がりを大切にしてきました。そうしていく中で、皮の張り方を教えて下さった職人さん、樹について教えて下さった職人さん、一つのことを教えてもらえるまでに10年以上かかったこともあります。それでも私の中ではすべてがパーツでしかなく、そのパーツが全て繋がるにはさらに時間がかかりました。
全てを一貫して太鼓作りを知る事が出来た今、太鼓への思いや、太鼓の扱い、指導に対する考え方までが変わりました。なぜなら、和太鼓の全ては自然の恵から成り立ち、生き物の命を頂くことを本当の意味で知ったからです。太鼓の皮を縫いながら、この命をきちんと繋ぐ役目だと思いました。まだまだ未熟で、磨きをかけていきたいと思いますが、演奏と同じでこれで終わりはない、そう実感しています。
ある職人の方の手さばきを見て「なんて美しいんだ!」と思った事があります。どの工程をとっても1つ1つが綺麗で、単なる楽器ではなく美術品だと心から思いました。
和太鼓には、それ自体から溢れる存在感、音が生み出す力、そんな魅力があるから遠い昔から続いているのだと思います。
太鼓を作る
締太鼓も宮太鼓もいろんな大きさの太鼓があります。それに合わせて皮も色々です。なめし工程から完成した生皮を受け取った時、職人の方から初めに教わった事があります。「よぉ〜く顔色を見て、この牛がどんなところで育ったのか?怪我はなかったのか?そんな事まで考えてみると、この皮をどうやったら一番良いように使えるかがわかるよ。」と・・・初めはさっぱりわかりませんでした。ただ、分かりたかったし、教わりたかったから、目の前に来たものを一生懸命取り組んだ。
一番の力作業だと感じたのは、太鼓の皮を縫う作業でした。しかし、一針ずつ縫うことは、自分と太鼓と向き合う最高の時間となり、これまで以上に太鼓を大切に思うようになった・・・いや、これまで以上にというよりは、“これまでに無いくらい”の方が正しい。私の情熱を職人の方々は受け入れ、色んなことを教えて下さいました。初めのきっかけは、あくまで《太鼓を打つならゼロから太鼓のことを知りたい》でした。打ち手の気持ちも、作り手の気持ちもわかると、同じ指導でも中身が違うようになりました。
太鼓の製造のことは、技術ですから全部を伝えることは出来ません。でも太鼓がどのように出来るのかは、伝えていきたいと思っています。
修復技術
和太鼓を一から作るより、古くからの太鼓を修復する方が時間も手間もかかります。
ただすごいのは、くり抜きの和太鼓はどんなにボロボロでも修復技術によって蘇るということです。
写真の太鼓は、大正時代の太鼓で、ある神社から譲って頂いたものです。太鼓の胴の木は朽ち始めポロポロと剥がれていました。
しかし、修復完了の写真にもあるように見事に蘇りました。
この技術に感動でした。音もしっかりなりますよ。
和太鼓と生活の関連性
生徒さんから実際に聞いたことを紹介しましょう。
「たった週に1回のレッスンなのに、すごく生活の中で太鼓の存在が大きい!」
この声は本当に多いです。
ある生徒さんは、「太鼓を始めるようになってから、もし風邪をひいてしまっても太鼓の日までには直そうと思う」
また別の生徒さんは、「職場で色々あるけど、○曜日になったら太鼓があるから頑張れる」と趣味の域を超えて楽しんでいることを伝えてくれます。
他にも「レッスンの後は肩がすごく楽になって元気に動ける!」「笑って太鼓を打ったらスッキリした」など様々あります。
この《たった1回》が貴重な時間なんですよね。
教室には本当にいろ〜んな思いを持って通ってこられます。ストレス発散はもちろん、体力をつけたい人や、昔からやってみたいけどチャンスがなかったが定年後の趣味として思い切って始められる人、介護の合間に来られる人、夢中になれるものを探している人、週に1度は汗を流したい人・・・まだまだ目的も生活環境も違う人たちが、思いを持って通われています。それを知っているからこそ、提供する時間の重要さを感じます。
週に1度のレッスンというのは、日々の生活の中のほんのひと時に過ぎません。しかしその“ほんのひと時”が少しでもより生活の潤いになれば嬉しいと思っています。生徒さんは幼児・子供から社会人・シニアの方々までいらっしゃいます。会員の声を全部確認したわけではありませんが、多くの生徒さんが生活の中で和太鼓は大きな存在だと感じておられるようです。